金沢のおばちゃんは優しいですよ

金沢旅行の予備知識 #6

北陸新幹線の開業以来、金沢では訪れる観光客が飛躍的に増えました。

私は観光客が増えたことの最大の恩恵は、街中に笑顔が増えたことだと思っています。

私が東京から戻ってきた2010年当時の金沢は、繁華街に人通りはなく、人々が黙ってうつむき加減に歩いていました。それが今では、片町やタテマチといった繁華街に笑顔が戻ってきています。

欲を言えば、観光客の皆さんには、ひがし茶屋街や兼六園、金沢21世紀美術館、近江町市場などの観光スポットをピンポイントに回るのではなく、街中に散りばめられた風情や面白さを感じていただければ最高です。

金沢は小さな街ですので、観光名所から観光名所へは歩いて移動することができます。

例えば、金沢観光のツートップである兼六園とひがし茶屋街は、東京でいうと銀座通りを1丁目から8丁目までと同じくらいですし、大阪では心斎橋の大丸から難波の高島屋へ行くようなものです。

女性の方は地図を見るのが苦手という方が多いようですが、ぜひ金沢の街を歩いてみてください。

香林坊交差点の個性的なオブジェ

金沢の没落を肌で感じた「おばちゃん」世代

金沢の街を歩いて移動する際のコツをお教えしますね。

それは、金沢で道がわからなくなった時は、おばちゃんに聞くことです。金沢のおばちゃんは差し出がましいのが玉にキズですが、懇切丁寧に教えてくれますよ。

もしかすると、現地まで連れていってくれるかもしれません。

近頃は金沢へ旅行した人たちの感想をSNSで見る機会が多くありますが、金沢の人が優しかったとコメントしてくれる人が目立ちます。実際にその通りです。

金沢のおばちゃんは、自分の生まれ育った土地に、大勢の人が来てくれるのが嬉しいのです。そして、来てくれた人には金沢を存分に楽しんで帰ってほしいのです。

さらに言えば、金沢のことを悪く言われたくないのです。

聖霊病院のイエス像は外国人の撮影スポット(長町)

ここで言う「おばちゃん」とは、60歳から70歳前後の女性です。

この世代の女性の多くは両親が戦前の生まれで、祖父母は明治生まれでした。明治の頃の金沢は、まだまだ日本の主要都市のひとつでしたので、当然のことながら「金沢は有名なのだよ」と教えられて育ちました。

それが、青春時代に東海道新幹線が開通し、母親として子育てに追われている頃には新潟に新幹線が通りました。金沢のおばちゃん達は、金沢が衰退していくのを肌で感じてきました。

だからこそ、北陸新幹線の開業をキッカケとして、自分が生まれ育った街が全国メディアで取り上げられていることが嬉しくてしょうがないのです。

親切にしてくれるおばちゃんがいたら、遠慮なくご好意に甘えてください。

ひがし茶屋街と主計町茶屋街を結ぶ「鏡花のみち」

道を聞く人が意外に少ないのですね

私はこのサイトを制作・配信するようになり、以前よりも注意しながら街を歩くようになって感じているのですが、観光客の方たちは、金沢で暮らす人たちに意外と道を聞かないですよね。

観光でお越しになった方は、街中のいたるところで地図を開いて、現在地と地図の方角を合わせて、指差し確認をしながら目的地までの道を確かめています。

最初の頃は、東京から来た人たちが遠慮して聞かないのかなと思っていましたが、中には大阪弁で「あっちや、いや、こっちや」という声も聞こえてきますので、どこから来たのかに関わらず道を聞く人は少ないようです。

金沢は曲がりくねった道がまだ多く残っていますし、平行に走っているように見える道路が、実は平行ではなかったということもよくあります。元々、金沢の道は賊がお城に近づけないように作られています。

はじめて金沢を訪れる方は、どうぞ遠慮せずにお尋ねください。

兼六園と金沢城の間を走る百間堀

金沢のおばちゃんは道を尋ねられるのを待っています。買い物かごをぶら下げて歩いているおばちゃんに聞くと一発で分かりますよ。

ただし、説明がくどすぎたり、「あそこに行ったらいいよ」とか「あれを食べなさい」というように “ありがた迷惑” と思えることもあるかもしれません。

その場合は「ありがとうございます。大丈夫です」と言って、さっと離れるのもコツです。

本人としては決して悪気はないのですが、金沢のおばちゃんには差し出がましいところがあるようです(笑)。

W坂へは寺町のおばちゃんに聞くのが一番です

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江戸時代の金沢は国内で4番目の大都会でした