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Kanazawa-Castle*9
(Kuromon Greenery)

金沢城の黒門のすぐ近くにある歴史的家屋

私の故郷・金沢は、気の向くままに歩いていると興味深いスポットに出会える街です。金沢城公園の黒門からすぐ近くにある黒門前緑地もそのひとつです。

黒門前緑地は1995年(平成7年)まで金沢地方検察庁の検事正官舎でした。

金沢市が譲り受け、近代和風建築の旧官舎と敷地を取り囲む土塀を保存しています。また、敷地内にアドレナリンやタカジアスターゼで有名な世界的科学者である、金沢市出身の高峰譲吉博士の旧家屋を移築し、公園として一般開放しています。

高峰博士は金沢の小学生が授業で教わる郷土の偉人の一人です。黒門前緑地に移築されたのは書斎と茶室に利用された離れにあたる部分で、お部屋の中も撮影することができます。

旧官舎も無料で入場することができます。床の間のある和室からは日本庭園を眺めることができる他、洋館の部分は事務室となっており、室内に置かれているアンティークなソファや家具を目にすると、検事正という立場が地元の名士であることが伺えます。

旧官舎の客間

旧官舎の事務室

黒門前緑地は観光パンフレットにも掲載されていないような小さな緑地ですが、黒門から金沢城公園に入場する方や、黒門から退場する方が必ず目にする場所にあることから、「とりあえず入ってみようか」という感じで多くの人が敷地内に入って行きます。

旧いものを保存していこうという金沢の文化を感じていただける緑地です。

旧検事正官舎

旧検事正官舎

金沢城には白門と黒門が。色のついた門がもう一つ

現在の金沢城で最も有名な門は兼六園と直結している石川門ですが、石川門は「白門」という通称が付いています。そして、江戸時代に西丁口門と呼ばれていた門が、明治以降に「黒門」と言われるようになりました。

金沢城には色のついた門が2つありますが、実は加賀藩ゆかりの門の中に色のついた門がもう一つあります。

それは東京大学の赤門です。東大のキャンパスがある東京都文京区は、江戸時代には加賀藩の大名屋敷が置かれていたエリアでした。ちなみに文京区にある白山神社の本山は石川県の白山比咩神社です。

東大の赤門は、13代加賀藩主の前田斉泰が、11代将軍・徳川家斉の第21女の溶姫を迎える際に建造されたものです。

高峰譲吉博士の旧家屋

高峰譲吉博士の旧家屋

ここは前田利家公の四女・豪姫の住居遺址

黒門前緑地のあたりには、初代藩主・前田利家の四女である豪姫が暮らしていたと言われています。

敷地内の案内板には「豪姫住居遺址」とありますので、黒門前緑地が豪姫の住居跡なのかなと思うのですが、案内板には豪姫がこの場所で暮らしていたと断言はしておらず「この辺りで居住したと文献は伝えている」と記すに留まっています。

NHKの大河ドラマ『利家とまつ』を契機として、利家の妻の「おまつの方」や娘の「豪姫」にもスポットが当たるようになりましたが、ここで豪姫について簡単にご紹介しましょう。

前田利家と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は若い頃からご近所さんとして家族ぐるみの付き合いがありました。

秀吉夫妻に子供がなく、秀吉から次に生まれてくる子供を欲しいと頼まれていた利家とまつは、次に誕生した四女を秀吉とねね夫婦の養女としました。ねねは豪姫を実の子のように可愛がったと伝えられています。

豪姫は養女であることを知らされずに成長し、岡山城主・宇喜多秀家に嫁ぎます。以前に私が読んだ「利家とまつ」の小説には、婚礼で正座をして見つめていたおまつの方を、豪姫が冷ややかに見下ろしながら通り過ぎていったと記されていました。

その後、関ケ原の戦いで豊臣方が敗れ夫の秀家が流罪となります。夫と別離した豪姫に対して、育ての親であるねねが「本当のお母さんの面倒を見てあげなさい」と申し伝えたことで、豪姫は金沢で暮らすこととなりました。

おまつの方にとっては、豪姫は生まれてすぐに養女に出した子でしたが、最期は豪姫に看取られながらこの世を去りました。

金沢ゆかりの人物が、次に大河ドラマの主人公となることがあるとすれば、私はその人物は豪姫だと思っています。

豪姫住居遺址

豪姫住居遺址

金沢城公園への行き方


金沢城公園の周辺にある「観光してみたいかも」スポット

兼六園 | 金沢21世紀美術館尾山神社 | 尾崎神社 | 寺島蔵人邸


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地図上では香りん寿司本店と西尾商店の間が黒門前緑地です

金沢城公園で21世紀に復元された藩政期の姿