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Chayagai Office

かつては旦那衆の遊びの場だった茶屋街

21世紀を迎えてから金沢を代表する観光地へと飛躍していったのが、ひがし、にし、主計町の3つの茶屋街です。今では、和服姿の若い女性や海外からの観光客で賑わっています。

歴史を辿ると「ひがし」と「にし」の茶屋街が加賀藩主から公許されたのは1820年(文政3年)のことです。

それ以前から形成されていた浅野川の外側と、犀川の外側の遊里を1カ所にまとめ、市民生活の場所と遊里との境界に塀を巡らし「廓(くるわ)」としたのがはじまりでした。このことから、地元ではつい最近まで「東の廓」「西の廓」と呼ばれていました。

かつては「北の廓」も存在していましたが、昭和40年代に都市開発の流れの中で姿を消しました。

もうひとつの主計町については、「東の廓」に入りきらなくなったお茶屋が、浅野川大橋の対角線上の川沿いに立ち並ぶようになったことで形成された茶屋街です。主計町は塀で取り囲まれることがなかったことから方角ではなく町名で呼ばれています。

昭和初期までの茶屋街は、金沢の旦那衆にとっての最先端の遊びの場でした。

にし茶屋街

運が良ければ三味線や鼓の音が聞こえます

それぞれの茶屋街には検番という事務所が置かれました。検番とは明治時代に芸妓さんの風紀取り締まりを目的として設置された組織です。

石川県出身の作家・井上雪さんの著書『廓のおんな』によると、明治時代から昭和初期の「東の廓」では、芸妓さんが廓の外に出る時には許可を得ることが義務付けられており、検番から指定用紙をもらって所轄の警察署に届け出たそうです。

今の茶屋街では事務所の役割も大きく変わりました。

現在は、かつてのお茶屋の建物を業態変更する際の窓口となっている他、芸妓さんの稽古場として使用されています。運の良い時には、茶屋街の事務所の前を通ると2階の稽古場から鼓や三味線の音が漏れ聞こえてきます。

検番は芸妓さんの外出をチェックする組織だったこともあり、それぞれの茶屋街では一番端に位置しています。

金沢の伝統芸能の世界に興味のある方でしたら、3つの茶屋街にあるかつての検番をひとつずつ巡ってみたいと思われるかもしれませんね。

茶屋街の事務所にもそれぞれの茶屋街の特徴が

東料亭組合

メインストリートである二番丁の脇にあります。

観光で訪れる方は、二番丁を直進して突き当りを左に曲がり、三番丁の細い路地を通って二番丁に戻ってくるというのが一般的ルートですが、事務所の建物は一回りした後のゴール地点にあたります。

3つの茶屋街の中で最も高い格式を誇った「ひがし茶屋街」だけあって、事務所の外観には威厳が漂っています。ただし、他の2つの茶屋街の事務所に比べてデザイン的には少し見劣ります。

毎日の賑わいで事務所の外観にまで手が回らなかったのかもしれませんね。


主計町事務所

表通りの浅野川沿いから裏通りに入り、「暗がり坂」へと向かうT字路に位置しています。

1階に木虫籠(きむすこ)が施され、2階の窓が張り出している純和風の茶屋建築の建物で、照葉さくらや暗がり坂の石段とマッチして昭和の恋愛小説のような風情を醸し出しています。

主計町は、浅野川沿いに立ち並ぶ建物の玄関が北側に向いていることから、昼間でも陽光があたらない時間帯が多いのですが、主計町事務所も裏通りの日陰にゆったりと佇んでいます。


西検番事務所

「にし茶屋街」の石碑が建つ入口から一番奥にある建物で、犀川を渡ってにし茶屋街を訪れる方は、茶屋建築の街並みをゆっくりと歩いてきた後に最後に目につく建物ということになります。

1922年(大正11年)に建てられたブルーの洋風の建物で、木造の茶屋建築の後にこの事務所を見るとモダンな雰囲気を感じます。外観からは、金沢の茶屋文化の王道を行く「ひがし」とは一線を画した、「にし」の個性的な一面を垣間見ることができます。

なお、西検番事務所は2003年(平成15年)に国の有形文化財に登録されました。

観光名所から観光名所への距離と徒歩時間

金沢の街角の「おたっき~ポイント」