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Water Way City

小川のせせらぎが金沢の街を潤しています

街中を流れる小川の爽やかな流れは人々の心に潤いを与えてくれますが、金沢も用水をはじめとする水路をよく目にする街です。

金沢市によると、現在、金沢市内には55本の用水が流れています。偶然にも郷土のスーパースターである松井秀喜さんの現役時代の背番号と同じ数です。

金沢の子供たちが小学校の社会の授業で教わるのは、用水が普及していなかった頃に農民同士の水の奪い合いが頻繁に起きたことから、全ての田んぼに水が行き渡るように用水が整備されたということです。

大人になってから色々な資料に目を通すと、金沢の中心部の用水は火災時の防火、雪捨て、排水、木材の運搬などにも活用され、必ずしも農業のためだけに水が引かれたわけではないようです。

しかしながら、明治維新の頃の金沢は全国で5番目の大都市でしたので、地域住民の食糧確保という観点からも田畑を潤す用水の普及は不可欠であったことでしょう。

現在の金沢の中心部には、辰巳用水、鞍月用水、大野庄用水という3つの用水が流れています。いずれも金沢の二大河川のひとつである犀川から取水されており、中心街の景観に潤いを与えています。

辰巳用水は小立野寺院群から兼六園に沿って流れていますが、本流から分水して兼六園にも引き込まれ、霞ヶ池、瓢池といった園内の池を満たしています。

大野庄用水は長町武家屋敷跡の景観と一体化し、緩やかに蛇行しながら流れています。用水に架かる「一の橋」「二の橋」「三の橋」「四の橋」とナンバリングされたレトロな橋とのマッチングは、古都・金沢の伝統と文化を醸し出しています。

小立野通りの辰巳用水は分水して兼六園へと流れ込みます

小立野通りの辰巳用水は分水して兼六園へと流れ込みます

金沢では暗渠化されていた用水が次々に開渠化

金沢では、かつては道路の確保のために用水に蓋(暗渠化)をして道幅を広げた時期がありました。

金沢は太平洋戦争で幸いにも戦災を免れたことから、旧い道がそのまま残っていることもあって、自動車の台数が増加の一途をたどっていた頃には、用水を暗渠化して道幅を広げる政策が市民に受け入れられていました。

金沢は小京都とも言われますが、最初から都として造られ道路が碁盤の目のように通っている平安京と違い、金沢は軍備上の観点から造られた街ということで、街中の道路は細く曲がりくねった道が多くなっています。

このこともあって戦後の金沢は道路事情の悪い街となったのです。

そのような道路事情から蓋をされていった用水でしたが、金沢市が1996年に制定した「用水保全条例」によって、暗渠化されていた用水の蓋が次々に開けられていきました。

開渠化の良い例が鞍月用水です。鞍月用水は金沢のメインストリートである百万石通りに沿って流れている用水で、用水沿いの曲がりくねった道路は百万石通りの裏通りとなっています。

かつて暗渠化されていた鞍月用水は今では可能な限り開渠化され、金沢の中心部の飲食店街である、せせらぎ通りや柿木畠の景観を潤しています。また、飲食店街を抜けた後も金沢駅方向に向かって美しい散歩道を演出しています。

長町武家屋敷跡を流れる大野庄用水

長町武家屋敷跡を流れる大野庄用水

新しい道路や施設にも用水の水が引かれています

水路で金沢の景観に潤いを与えようという考え方は都市計画にも生かされています。金沢の中心部にできた新しい道路や施設には、既存の用水から水を引き入れることで新たな水路が造られています。

その代表的な例が、金沢の主要繁華街のひとつである武蔵ヶ辻から金沢駅へと一直線に延びる金沢駅通りの水路です。

この水路は辰巳用水から水を引いており、車道と歩道の間を流れる小川が駅前の景観に溶け込んでいます。また、2つの車線の水路は金沢駅の「もてなしドーム」で合流し、爽やかなせせらぎを響かせています。

また、かつての県庁舎を改修したしいのき迎賓館前に整備されている「しいのき緑地」の水路にも、辰巳用水から水が引き込まれています。

この水路を流れる水は辰巳用水から兼六園内に引き込まれ、霞ヶ池、瓢池を経由して園外へと出た水を逆サイホンによって汲み上げているものです。

金沢の街を歩かれる際には、随所に見られる水の流れもお楽しみください。

しいのき緑地の小川は辰巳用水が源流です

しいのき緑地の小川は辰巳用水が源流です

観光名所から観光名所への距離と徒歩時間

金沢の街角の「おたっき~ポイント」