oyamajinja

Oyama-Shrine
(Shrine & Temple vol.1

金沢の中心に位置する前田利家公を祀った神社

近年の金沢で外国人観光客を中心に訪れる人が増えているのが尾山神社です。

金沢で一番のメインストリートに面する尾山神社は、初代の加賀藩主である前田利家と正室のおまつの方が祀られている神社です。

大通り沿いにある「南町」の石碑を目印に参道に入ると、その先に石段があり、石段の上には三層の建物がそびえています。やや中国風のデザインが特徴のこの建物が、国の重要文化財に指定されている神門です。

この神門は金沢の人たちにとって子供の頃から馴染みのある景色です。

子供の頃の私は、神社というものは、どこも尾山神社のような外観なのだと思っていました。その外観がとても個性的なデザインであることを知るのはだいぶ後のことです。ちなみに神門に付けられている避雷針は日本初のものです。

拝殿

拝殿

神門をくぐると拝殿があり、その奥が本殿になります。拝殿の右手には神苑と呼ばれる日本庭園が整備されています。兼六園のお膝元らしく池泉回遊式の美しい庭園です。

庭園の前には前田利家とおまつの方の像が置かれています。

利家公の像から境内の奥へ進んでいくと、旧金沢城の二の丸の唐門であった東神門があります。金沢城のたび重なる火災の中でも消失することのなかった縁起の良い門ですが、唐門の二匹の竜が水を呼び込んだためと言い伝えられています。

神苑

前田利家公がここに祀られたのは明治時代

神社の名称が尾山神社に改められ利家公が祀られたのは1873年(明治6年)のことです。

江戸時代に最大の外様大名であった前田家は幕府から謀反の疑いを掛けられないように、利家公を金沢城の近くに祀ることはせず、浅野川の向こう側、今のひがし茶屋街の先にある宇多須神社に祀っていました。

藩政期には金沢城内にも神社が創建されましたが、城内の神社には徳川家康公が祀られました。ちなみに、その神社は現在は尾崎神社という名称になっています。

前田利家公像

前田利家公像

利家公を祀る神社に限らず、前田家では家名存続のために絶えず幕府に忠誠の意思を示しました。その代表的なものが、利家亡き後、おまつの方(芳春院)が自ら人質となり江戸に渡ったことです。

おまつの方は江戸へと向かう際に、息子たちに「母は死んだと思いなさい」と言い残して旅立ちました。後世の歴史家の間では、初代藩主の前田利家よりも、おまつの方を高く評価する声が目立ちます。

おまつの方の像

神社のイメージを覆すガラス張りの授与所

尾山神社の境内で目を引くのは全面ガラス張りの授与所です。

この授与所は2015年秋に完成した施設で、若いカップルがおみくじを引くために仲良く入って行く姿が多く見られます。モダンな雰囲気の神門とともに、尾山神社の進取の気性を象徴する施設といえるでしょう。

授与所の前には、前田利家公の兜の像が設置されています。利家公は金色の兜が代名詞でした。

前田利家公の兜

尾山神社は日本人観光客よりも海外から訪れる人の方が、神門をはじめとする境内の建物に興味を持つように見えます。

個性的なデザインの神門にカメラを向けているのはとても嬉しいことなのですが、老婆心ながら中国風の外観が純日本風と誤解されてしまわないかと心配でもあります。

お洒落なデザインの授与所

お洒落なデザインの授与所

さて、香林坊武蔵ヶ辻の中間に位置する尾山神社は、金沢の観光名所へ行きやすい位置にあります。

まず、神門を出て百万石通りを右手に入り、武蔵交差点の方向に8分ほども行くと近江町市場で、百万石通りを渡って真っすぐに坂道を下ると10分足らずで長町武家屋敷跡に入ります。

また、東神門の先にある東参道からは金沢城公園の玉泉院丸口まで150mほどの距離です。

現地までバスを利用される方は、最寄りのバス停の「南町・尾山神社」で降りて香林坊方向に3分も行くと到着します。「南町・尾山神社」は金沢の繁華街である香林坊からも武蔵ヶ辻からもひとつ先のバス停です。

ちなみに、南町(みなみちょう)は金沢を代表するビジネス街で、かつて東京の若い女性が「丸の内のOL」に憧れたように、金沢では「南町のOL」が若い女性の憧れでした。

この出口からは金沢城公園もすぐ近くです

この出口からは金沢城公園もすぐ近くです

尾山神社からは金沢城公園と長町武家屋敷跡がすぐ近くです

尾山神社ホームページ


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観光名所から観光名所への距離と徒歩時間

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