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加賀藩の歴史に触れる “おたっき~ポイント”

金沢の街を歩いていると、加賀藩の歴史にまつわる様々な記念碑や説明ボードを目にしますが、その中でも “おたっき~ポイント” と言えるのが「加賀八家」の屋敷跡です。

加賀藩では、創成期に多大な貢献のあった家臣を藩の要職に起用しました。そして、5代藩主・前田綱紀は1万石以上の8つの家系を年寄(大老)に任命し、明治維新まで加賀藩の運営を任せました。

年寄職に任命された8つの家系が「加賀八家(はっか)」です。

金沢市では「加賀八家」の屋敷跡に説明ボードを設置しています。瓦屋根に木枠という武家屋敷を連想させるデザインです。

ひとつのボードをご覧になり、藩政期の金沢は「加賀八家」によって取り仕切られていたことを知ると、「あと7つはどこにあるのかな」と興味が沸いてくるかもしれませんね。

小学校前の土塀に設けられた村井家跡のボード

慶次ファンには奥村家が身近に感じるかも

加賀八家に属する8つの家系は、本多家、長家、横山家、前田家(長種系)、奥村家(宗家)、村井家、奥村家(支家)、前田家(直之系)の八家です。

上記の八家の中で、アニメ『花の慶次』がお好きな方でしたら、奥村家を身近に感じるかもしれませんね。奥村宗家、奥村支家ともに、アニメで前田慶次の親友として出てくる奥村助右衛門を祖とする家系です。

かつて加賀八家の広大なお屋敷があった場所は、現在は公立の小中学校、図書館、病院、公園などの公共機関や、住宅街・ビジネス街となっています。

加賀藩の重臣の屋敷跡が、現在どうなっているのかを確認されるのも1つの楽しみです。

加賀八家の屋敷跡

本多家(50,000石)

本多家は、元々は徳川家康の家臣でしたが、関ケ原の戦い以後は2代藩主・前田利長に仕え、前田家と徳川家の関係の円滑化に務めました。

屋敷跡は「本多の森」と「本多公園」になっており、説明ボードは本多公園から石川県立美術館へと至る美術の小径の入口に設置されています。


長家(33,000石)

長家は加賀八家の中で東海地方と所縁のない唯一の家系です。能登国で生まれ育った後、織田信長の配下に入り、その後、前田利家に臣従しました。

現在は金沢市立玉川図書館と玉川公園という緑地になっています。説明ボードは近江町市場から長町武家屋敷跡へ向かう途中に位置しています。


横山家(30,000石)

横山家は美濃の出身で、2代藩主・前田利長と、3代・利常が幕府から謀反の疑いを掛けられた際に幕府に対して弁明し、藩主・前田家の存亡の危機を救いました。

屋敷のあった場所は横山町と名付けられ、現在は閑静な住宅街となっています。説明ボードは兼六園下交差点から10分少々の住宅街に設置されています。


前田家 長種系(18,000石)

初代の前田長種は尾張国の地侍として前田利家に仕えました。加賀藩主の前田家とは別系です。利家の長女と結婚した後、2代藩主・利長の後見役を務めました。

屋敷跡は金沢城公園の大手堀に近いビジネス街・マンション街となっており、説明ボードはNTT西日本大手町ビルの脇に設置されています。


奥村家宗家(17,000石)

奥村家は、前田家が尾張荒子城の城主だった頃からの家臣です。初代の奥村永福(助右衛門)は、末森城主として佐々成政の侵攻を防いだことが評価され重臣となりました。

説明ボードは、兼六園の小立野口から続く奥村家の板塀をバックに設置されています。また、屋敷跡は金沢医療センターという国立の医療機関となっています。


村井家(16,569石)

村井家は尾張荒子の出で古くから前田利家の侍臣となった家系です。初代・長頼は、江戸に人質として赴いた芳春院(前田利家夫人)に随従しました。

説明ボードは長町武家屋敷跡のせせらぎ通りの先に設置されています。屋敷跡は金沢市立中央小学校になっています。


奥村家支家(12,000石)

奥村助右衛門の次男・易英を祖とする奥村家の分家です。大聖寺の戦いや大坂冬の陣で多大な戦功をあげ、次男であったにもかかわらず要職に抜擢されました。

屋敷跡は金沢市立小将町中学校となっています。説明ボードは兼六園下交差点から150mほどのところに設置されています。


前田家 直之系(11,000石)

前田利家の次男・利政の息子である前田直之を祖とする家系で、藩主前田家の分家にあたります。長町にある前田土佐守家資料館はこの家系の資料館です。

屋敷跡はビジネス街の裏手にある閑静な住宅街となっており、百万石通りの南町付近から入ったところに位置しています。

観光名所から観光名所への距離と徒歩時間

金沢の街角の「おたっき~ポイント」