kanazawa-shrine

Kanazawa-Shrine
(Shrine & Temple vol.2

金沢の受験生が合格祈願の絵馬を掛ける場所

全国の各都市には地元の受験生が合格祈願に訪れる神社があります。

中でも有名なのは菅原道真を祀る福岡の大宰府天満宮ですが、金沢にも道真公を祀った学業成就にご利益のある神社があります。それが兼六園に隣接する金沢神社です。

受験シーズンになると地元のテレビニュースで必ず紹介される神社で、境内には合格祈願の絵馬が、二重、三重どころか五重にも六重にもなって掛けられています。

合格祈願の絵馬が幾重にも取り付けられています

合格祈願の絵馬が幾重にも取り付けられています

金沢神社は、金沢21世紀美術館と兼六園の真弓坂口を結ぶ広坂交差点から、緑に挟まれた広坂を上り切ったところに位置しています。

1976年(昭和51年)の兼六園の有料化以前は、金沢神社は兼六園の一部だったこともあって、鳥居をくぐると兼六園と変わらぬ庭園が整備されています。

鳥居から真っすぐに行くと兼六園の随身坂口です。

以前に随身坂口がすぐ目の前に見えるところで、観光客の方から「兼六園の入口はどこですか?」と尋ねられたことがありますが、すぐ近くに入口があるのに気付かないほど、金沢神社と兼六園は景色が一体化しています。

広坂を上り切ったところにある金沢神社の鳥居

金沢の地名の由来がここにあります

鳥居をくぐってすぐ右手には小さな社が佇んでいます。その施設が金沢の地名の由来となった金城霊沢(きんじょうれいたく)です。

金城霊沢とは湧き水の出る泉のことで、屋根の下には満面の水が溜まっています。木製の案内板には、「昔、芋掘藤五郎がこの泉で砂金を洗い『金洗沢』と呼ばれていた。これが金沢の地名の起こりである。」と記されています。

金沢の地名の由来となった金城霊沢

この泉の左手には境内に向かって赤い神門が続いています。金沢神社の神門は緩やかな傾斜の階段に並べられた8つの小さな鳥居で、朱に塗られた門をくぐると拝殿へと出ます。

金沢神社は兼六園の敷地に設けられ、前田家のみが祈願をしていたこともあり、敷地自体はとても小さいものです。

住宅街や農村に見られる地域の鎮守社程度の面積しかありません。金沢の名前が付けられた神社ということで、さぞかし立派な神社なのだろうと期待して訪れると、がっかりされるかもしれません。

境内へと通じる神門

さて、金沢神社は、第11代藩主の前田治脩が1794(寛政6年)に創建した神社です。明倫堂という加賀藩の学校を守るという主旨で前田家の先祖である菅原道真公が祀られました。

その後、兼六園が現在の広さまで拡張される際に明倫堂は他の場所に移されたのですが、金沢神社はそのまま残り、学業成就とともに金運・災難除けや商売繁盛の神様としても祀られることとなりました。

また、当時は金沢神社という名称ではなく、竹沢御殿御鎮守天満宮と名付けられていました。

加賀藩主・前田家の庭として庶民の目に触れることのなかった兼六園が、一般の市民に開放されたのは1874年(明治7年)のことです。そして、同時に園内にある神社に一般の人たちが参拝できるようになり、1876年(明治9年)に金沢神社と改称されました。

金沢神社は学業成就だけではなく、商売繁盛や災難除けにもご利益があるとされていますが、戦後の日本の社会が受験戦争と言われる学歴偏重の時代を迎えるとともに、金沢神社は合格祈願の神社として認識されるようになっていきました。

神門を上がると手水舎に出ます

ここは文化施設が多く集まる芸術の森

金沢神社の周辺は「森の都・金沢」を象徴する、本多の森と呼ばれる緑のオアシスで、晴れた日には絶好のお散歩コースです。このあたりは小立野台地の先端にあたることから坂道が多いことが特徴です。

さらに石川県立美術館石川県立伝統産業工芸館いしかわ赤レンガミュージアム成孫閣などのミュージアムや、加賀宝生の伝統を受け継ぐ石川県立能楽堂、金沢の音楽シーンをリードしてきた本多の森ホールなど、多くの文化施設が集まっています。

また、広坂を下り切ったところには金沢21世紀美術館や金沢能楽美術館があり、県立美術館の裏の美術の小径と名付けられている石段を下りると金沢市立中村記念美術館に出ます。

兼六園の随身坂口を出て左手が金沢神社です

金城霊沢の隣にある神社が金沢神社です。周囲にはミュージアムが点在しています

金沢神社ホームページ


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観光名所から観光名所への距離と徒歩時間

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