和菓子処の金沢では、年に2回、どこの和菓子屋さんにも並ぶ「季節の和菓子」があります。ひとつはお正月の「福梅」、もうひとつが7月1日の「氷室まんじゅう」です。金沢市だけではなく旧加賀藩エリア全体に残る習慣です。
100年以上続く老舗の和菓子屋さんから家族経営の小さな和菓子屋さんまで、金沢市内の和菓子屋さんの店頭に氷室まんじゅうが並びます。
1月1日と7月1日。半年に一度めぐってくる季節の和菓子の伝統は、加賀百万石の城下町ならではと言えるでしょう。6月下旬になると、和菓子屋さんの入口には「氷室まんじゅう」「氷室饅頭」の看板や旗が掲出されます。
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前田家から将軍家への氷が由来
氷室饅頭の起源は江戸時代までさかのぼります。関ヶ原の戦い以降、何度もお家断絶の危機に瀕し、その都度乗り越えてきた加賀藩主・前田家では、江戸の将軍家に対する気遣いは大変なものでした。
徳川将軍への気遣いのひとつとして挙げられるのが氷室の氷です。冬の季節に降った雪を、氷室小屋と呼ばれる地下倉庫に貯蔵しておき、暑さが本格化する7月1日(旧暦の6月1日)に氷室開きが行われ、雪氷を江戸に献上したのです。
金沢の小学生は授業で「氷室の氷」を教わります。テキストの中には漫画風に解説されたものもあって、そこには、江戸の将軍様が「暑いのう。加賀の氷はまだか?」と氷が届くのを心待ちにしていた様子が紹介されていました。
そして、江戸に届いた氷の荷を解くと、金沢から満杯にして送り出された氷がほとんど溶けていて、将軍様が「これだけか!?」とがっかりしながらも、最後のコマでは満足そうに氷を口に運ぶイラストが描かれていました。
300年以上の歴史
加賀から送り出された氷が、溶けることなく無事に江戸に届くことを祈願する際に「まんじゅう」が添えられたことが氷室饅頭の始まりです。
その後、5代藩主・前田綱紀の時代に、片町の道願屋彦兵衛という菓子職人が餡の入った饅頭を考案し、藩内の和菓子屋さんに広まっていきました。綱紀の時代ですから1600年代の後半頃でしょうか。
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とこにでもある普通の饅頭です
氷室まんじゅうは白、赤(桃色)、緑(抹茶)の三色があります。よく県外の方から「氷室まんじゅうって、どんなお饅頭なんですか?」と聞かれますが、どこの街にもあるような普通のまんじゅうです。
ただ、正月の福梅と同様に、和菓子屋さんによって作り方が少し違います。全体で見ると酒まんじゅうで作る和菓子屋さんが多いようですが、抹茶だけはお酒が入っていませんとか、餡の色を表皮の色に合わせるお店などそれぞれです。
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現在は無病息災を願う縁起菓子
氷室開きは昭和30年頃には廃れましたが、氷室まんじゅうを食べる習慣だけは今日まで受け継がれてきました。今も7月1日には大多数の家庭で「氷室まんじゅう」が食されています。ちなみに、現在は無病息災を願う季節の縁起菓子です。
なお、氷室については、昭和61年(1986年)に金沢の奥桟敷・湯涌温泉に氷室小屋が再建され、氷室開きも行われるようになりました。毎年、1月に子供たちによって雪が貯蔵され、7月1日に雪氷が取り出されています。
そして、取り出された雪氷は、金沢市民の台所・近江町市場などに置かれます。
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