2018年8月8日付の北國新聞に、大正ロマンを代表する金沢ゆかりの画家・竹久夢二の作品や遺品が、金沢湯涌夢二館に寄託されたという記事が掲載されていました。
夢二とともに湯涌温泉に滞在した次男の不二彦氏のご遺族が、金沢湯涌夢二館に管理や展示を任せたいと申し出たものです。寄託された「竹久家コレクション」は、夢二と不二彦氏の作品や遺品、夢二に関する出版物などで構成されています。
散逸を避けるため、不二彦氏が死去した1994年(平成6年)以降は秘蔵されていましたが、ご遺族が高齢となり、金沢湯涌夢二館の太田昌子館長らと親交があったことから、同館への寄託を決めたのだそうです。
同館によると、多数の作品、遺品を遺族が一括して寄託するのは初めてのことで、今後、詳しく分類、整理すると数千点になると見られます。
スケッチやスクラップブックなど1,000点
夢二が旅先などで持ち歩き、女性像や風景などを鉛筆やペン、水彩で描いたスケッチブックは約30冊あり、明治40年代から昭和初期にかけてのものとなります。
そのうちの一冊は、1917年(大正6年)に石川県を訪れた際のスケッチブックで、兼六園、松任、加賀温泉郷のひとつ片山津温泉などを描いています。金沢夢二記念館によると、夢二が描いた兼六園の絵は今までほとんど確認されていませんでした。
スクラップブックには、美術雑誌などから切り抜いたとみられる洋画や浮世絵、仏像、彫刻、工芸品などの写真が貼り付けられており、夢二が古今東西の美術品を創作のヒントにしていたことがわかります。
コレクションには雑誌に掲載された作品の原画や下絵、欧米を旅した際の電車の切符や時刻表なども揃っています。不二彦氏は夢二と父子の絆が深く、父の遺品を細かいものまで大切に保管していました。そして、夢二の死後も作品の出展などに熱心に取り組まれていました。
太田館長は北國新聞の取材に対し、「コレクションを大切にしてきた不二彦さんやご遺族の思いを大切に、展示や研究に取り組みたい」とコメントしていました。なお、金沢湯涌夢二館では、9月の特別展で一部を一般公開する予定です。
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金沢に寄託していただいたことに感謝
夢二のご遺族から寄託されたという記事は、とても興味深い記事でした。
全国の竹久夢二の関連施設の中から、金沢湯涌夢二館を寄託先に選んでいただいたことを感謝したいと思います。
2年前には、ソニーの創業者である盛田昭夫氏のご遺族から、遺品の蓄音器が金沢蓄音器館に寄贈されました。大きなラッパの蓄音器は、現在、金沢蓄音器館の「聴き比べ実演」で使用されています。
さて、竹久家コレクションの中で私が見てみたいのはスクラップブックです。
私は、若い頃に新聞や雑誌の記事をスクラップして仕事に役立てようと思い立ちましたが、長続きしませんでした。
疲れて家に帰った日に「スクラップは明日にしよう」と思ってしまうと、どんどん記事や写真が溜まって、そのうちに面倒になってスクラップそのものを止めてしまいました。
ぜひ、夢二のスクラップブックを見てみたいものです。
金沢湯涌夢二館は、金沢の奥座敷・湯涌温泉にあります。近年はアニメ『花咲くいろは』の聖地として、同地を訪れる若い人が増えています。
決められた休館日はありませんが、展示替えの期間だけは休館となりますのでご注意ください。
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