兼六園の見どころ#3
日本三名園のひとつに数えられる兼六園は、宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望の6つの景勝を兼ね備えた庭園という意味で名付けられました。
6つの景勝の中でも、マスメディアで最も多く紹介される千歳台(ちとせだい)と呼ばれる日本庭園のエリアは、“宏大”な敷地に曲水(小川)や霞ヶ池などの“水泉”を配するなど、“人力”を駆使した庭園美で私たちを楽しませてくれます。
兼六園の7つの入場口の中で最も利用者数の多い桂坂口から入園すると、かなり急傾斜の坂道があり、坂道を上り切ったところに霞ヶ池があります。そして、霞ヶ池の対岸に日本庭園が広がっています。
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兼六園は松と桜とカキツバタ
日本庭園のエリアで代表的な花木を挙げるなら、松と桜とカキツバタになるでしょう。
庭園美の要となる位置で存在感を示す松、曲水の流れに沿うように続く桜並木、水辺で可憐な姿を見せるカキツバタ。そこにサツキ、ツツジ、ツバキなどの季節の花々が彩を添えています。
その中でも、雪国の金沢では冬の季節にも緑を楽しませてくれる松が主役です。園内には枝っぷりの見事な唐崎松(からさきのまつ)と根上松(ねあがりのまつ)をはじめ、姫子松、乙葉松、播州松などの由緒ある松が見られます。
曲水は日本庭園の狂言回し
兼六園の日本庭園のエリアで庭園美を演出しているのが曲水(きょくすい)と呼ばれる小川です。
金沢城公園から見て最も奥に位置する山崎山のふもとを出発点として、広大な日本庭園を逆S字に曲がりながら、ことじ灯籠で知られる霞ヶ池へと流れ込んでいきます。
曲水には約4万本ものカキツバタが植えられ、初夏の早朝に紫の花を咲かせます。兼六園が24時間の無料開放だった時代には、カキツバタの花が開く瞬間のポンという音を聞くために、夜明け前から兼六園を訪れる人がいたと聞きます。
また、茶屋街の芸妓さんと、お客様である旦那とのカップルが、夜通しの宴席を終えた後に訪れることもあったそうです。
曲水は兼六園の桜スポット
曲水の両岸には桜並木が続きます。前述のとおり、兼六園は松が主役なものですから、園内でピンク一色になる景観はあまりないのですが、曲水沿いだけはお花見気分を満喫できます。
桜の木に囲まれるように根が地面から浮き出た根上松(ねあがりのまつ)がそびえています。
橋を渡ることが日本庭園の楽しさ
曲水には木橋、花見橋、板橋、千歳橋、雪見橋、雁行橋、月見橋、虹橋といった風情を感じる名前の橋が架けられ、雪見橋には雪見灯籠が、月見橋には月見灯籠、虹橋にはことじ灯籠が夜の景観を照らし出すべく置かれています。
日本庭園の楽しさのひとつが小川や池に架かる橋を渡ることですよね。橋と水辺のコントラストは最高の撮影スポットです。兼六園でも特に海外から訪れた方が、それぞれの橋の上で記念撮影をしています。
広々とした日本庭園のエリアでは、どういう順番で見学していけば良いのか迷ってしまうこともあるかと思います。そのような場合には曲水の流れに沿って散策されるのもいいでしょう。
お時間に余裕のある方は、橋を渡りながらジグザグに園内を歩いてみてください。
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広大な日本庭園は1800年代の作庭
千歳台に広がる日本庭園のエリアは13代藩主・前田斉泰 (なりやす) によって1800年代に作庭されました。
霞ヶ池を掘り広げ、掘った土を盛って栄螺山 (さざえやま) を築き、父である12代藩主・斉広 (なりなが) が建てた竹沢御殿を取り壊し、巡らせた曲水に形や材質の異なる橋を架けるなど、現代に受け継がれる庭園美を作り上げました。
ちなみに前田斉泰は14名の加賀藩主の中でも、3代・利常 (としつね)、5代・綱紀 (つなのり)とともに名君に挙げられている藩主です。斉泰は生前に息子の慶寧 (よしやす) に藩主の地位を譲った後、明治17年まで存命していました。
加賀藩の余裕を感じる景観
兼六園は1600年代に作庭された蓮池庭(傾斜地エリア)と、1800年代に作られた千歳台(日本庭園エリア)に分けられます。
このページでご紹介している千歳台が作庭された頃は、前田斉泰が徳川家斉の22女・溶姫を正室として迎えるなど、加賀藩の地位が安定していた時代です。日本三名園に数えられる景観からは加賀百万石の余裕を感じます。
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日本武尊像は日本最古の銅像
日本三名園のひとつに数えられる兼六園には、いくつものモニュメントが置かれています。園内のモニュメントの中でも、兼六園を代表する景観のひとつとなっているのが、千歳台エリアに建てられた「明治紀念之標」です。
明治紀念之標は、1877年(明治10年)の西南戦争で戦死した石川県出身者の慰霊碑で、1880年(明治13年)に兼六園内に建てられました。その慰霊碑の中央にそびえるのが兼六園の撮影スポットのひとつ「日本武尊像」です。
この像は高さ5.5m、重さ5.5トンの大きさで人物の銅像では日本最古とされています。ちなみに、日本武尊(やまとたけるのみこと)は第12代景行天皇の皇子とされ、熊襲征伐を指揮した古代日本の伝説的な英雄です。
銅像の台座の「三すくみ」
日本武尊像の台座には「三すくみ」の言い伝えがあります。それは、台座にヘビ、カエル、ナメクジ”がいて、ヘビはカエルの、カエルはナメクジの、ナメクジはヘビの天敵なのでお互いに動くことができず台座が崩れない、と言い伝わっているものです。
台座に記されている「明治紀念之標」の文字の「明」の右にヘビが、「紀」の左にナメクジが、台座の左下にカエルがいます。意外なのは、日本人よりもヨーロッパからの旅行者の方が「三すくみ」を知っていることです。
芭蕉の句碑
日本武尊像の裏手を霞ヶ池と反対方向に歩いていくと、山崎山と呼ばれる築山のエリアへと入って行きます。山崎山の麓にあるのが松尾芭蕉の句碑です。
この句碑は大きな岩に芭蕉の句が彫られているもので、1689年(元禄2年)の「奥の細道」の途中に金沢で詠んだ、「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」の文字が彫られています。
岩が風化しているので全ての文字を読み取ることはできませんが、最初の「あ」の文字ははっきりと読むことができます。句碑は1846年(弘化3年)に卯辰山の寺院に建てられ、1883年(明治16年)に兼六園に移設されました。
梅林にある休憩所・舟之御亭
入園者数の多い桂坂口と真弓坂口から奥まったところに位置する梅林には、舟之御亭(ふなのおちん)と名付けられた休憩所があります。
この御亭は、兼六園作庭の第一歩を記した5代藩主・前田綱紀が設けた亭で、夕顔亭、時雨亭、内橋亭とともに兼六園の「四亭」のひとつに数えられています。かつては傾斜地エリアの桜ヶ岡口のあたりに設けられていました。
舟之御亭は、兼六園と命名された1822年(文政5年)頃にはすでに失われていましたが、絵図などを元に2000年(平成12年)に現在の場所に復元されました。今では、ちょっとした休憩所になっています。
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