兼六園の見どころ#1
日本三名園のひとつに挙げられる兼六園。この庭園が兼六園と名付けられたのは1822年(文政5年)のことです。
ちなみに、ひがし茶屋街が加賀藩から公許されたのは1820年(文政3年)です。現代の金沢観光のツートップとなった兼六園とひがし茶屋街は、ほぼ同じ頃に産声をあげました。
具体的な命名者ははっきりとしませんが、奥州平泉藩主で幕府の老中を務めた松平定信が同年に金沢を訪れた際に、12代藩主・前田斉広(なりなが)からの依頼を受けて、庭園の門に掲げる扁額に『兼六園』と記したという記録が残っています。
ちなみに、その扁額は兼六園に隣接するいしかわ生活工芸ミュージアムに展示されています。
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六つの景勝を兼ね備えた庭園
兼六園という名前は、宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望という、庭園に必要な6つの景勝を兼ね備えているという意味で名付けられました。
宏大(こうだい)……広々としている
幽邃(ゆうすい)……奥ゆかしく静かである
人力(じんりょく)…人の手が加わっている
蒼古(そうこ)………古びた趣きがある
水泉(すいせん)……水辺がある
眺望(ちょうぼう)…見晴らしがよい
広々としている場所(宏大)においては静かな奥ゆかしさ(幽邃)はないものですし、人の手が加わったもの(人力)からは古びた趣き(蒼古)は伝わってきません。また、池や小川などの水辺(水泉)は低いところにありますから、遠くを見渡すこと(眺望)に不向きです。
兼六園は、本来であれば両立しえない6つの景勝を兼ね備えていることで、日本三名園のひとつに数えられるようになりました。
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兼六園は蓮池庭と千歳台に分けられます
小立野台地の先端に位置している兼六園では、平地に位置する桂坂口、蓮池門口、真弓坂口の3つの料金所から入園すると小立野台地へと上って行く傾斜地があり、傾斜地を上り切ると小立野台地の広大な敷地に出ます。
兼六園には2つの顔があります。ひとつは「蓮池庭(れんちてい)」と呼ばれる1600年代に作庭された傾斜地エリアで、もうひとつは1800年代に作庭された「千歳台(ちとせだい)」と呼ばれる宏大な日本庭園のエリアです。
ことじ灯籠で有名な霞ヶ池は千歳台にあたります。
兼六園の見どころ#2
霞ヶ池は兼六園で最高の撮影スポットです
蓮池庭は金沢城の防御の砦
傾斜地エリアの蓮池庭は、5代藩主・前田綱紀によって1676年(延宝4年)から作庭が開始されたと言われています。傾斜地には木々が鬱蒼と生い茂り、静寂の中に瓢池へと流れ落ちる滝の音が響き、“幽邃”と“蒼古”の趣きを漂わせています。
実は、蓮池庭は金沢城を守る砦として作庭されました。
1600年代の前田家は、まだまだ徳川家から警戒される存在で、あからさまな「砦」を作ると徳川家に睨まれてしまうことから、防御施設であることをカムフラージュするために本格的な庭園を造りました。
樹々を植え、池を掘り、茶室で客人をもてなすことで、風流でのんきな加賀藩主を演じたのです。
本格的な庭園美を追求した千歳台
一方の千歳台エリアは、1800年代に13代藩主・前田斉泰によって作庭されました。兼六園の顔ともいえる霞ヶ池は人工的に掘られた池で、小立野台地の辰巳用水から引き込まれた水が、大きく蛇行しながら「曲水」となって霞ヶ池に注ぎ込まれています。
曲水には、上流から木橋、花見橋、板橋、千歳橋、雪見橋、雁行橋、月見橋、虹橋といった風情を感じる名前の橋が架かり、両岸には桜並木が続き、水辺にはカキツバタが植えられています。そして、松の木が存在感を示しています。
小立野台地に位置する千歳台は、“宏大”な敷地に“人力”が加えられ見事な庭園美を見せてくれています。
また、霞ヶ池を拡張する際に掘った土を盛って造られた栄螺山(さざえやま)からは、霞ヶ池と金沢の山なみを見渡すことができます。まさに“水泉”と“眺望”がミックスされた景観です。
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欧米からの旅行者は神秘性がお気に入り
傾斜地エリアの蓮池庭と、広大な日本庭園エリアの千歳台からなる兼六園。
地元の人たちの多くが、薄暗く狭い蓮池庭よりも、明るく広々としている千歳台を好んでいます。また、テレビの全国ネットで兼六園が紹介される際には、必ずと言っていいほど千歳台エリアの景観が「兼六園」として紹介されます。
近年は海外から訪れる人が目立って増えています。
外国人旅行者の反応を見ていると、中国語を話す人たちは日本人と同じように高台の開放的なエリアを好むようです。一方で、欧米系の人たちは幽邃を漂わせる瓢池周辺の景観に、日本的な神秘性を感じているように見えます。
兼六園の見どころ#4
瓢池は神秘的な雰囲気を醸し出す幽邃の池
兼六園には日本最古が2つあります
金沢は藩政期から明治期にかけて日本有数の大都会だったこともあって、日本最古の○○と呼べるものがいくつもあります。兼六園にも日本最古のものが2つあります。
ひとつは日本庭園のエリアに立つ日本武尊像(やまとたけるのみこと)で、屋外の人物の銅像としては日本で最初に建立されたものと言われています。上野の西郷さんの銅像よりも古いそうです。
この像は西南戦争で戦死した石川県出身者の慰霊碑で1880年(明治13年)に建てられました。当時は兼六園にこんなものを作るな!という意見もありましたが、建立から140年が経った今では兼六園の見所のひとつとなっています。
兼六園の見どころ#3
曲水が彩る兼六園の水辺は日本庭園の名脇役
逆サイフォンによる噴水
霞ヶ池から傾斜地を下っていくと噴水を目にします。この噴水も日本最古のものです。かつては兼六園よりも古い噴水があったらしいのですが現在はなくなっていることから、現存する日本最古の噴水ということになります。
歴史を紐解くと、藩政期の末期に、霞ヶ池の水を金沢城に噴出させようという計画がありました。そして、本当に噴き出るのかを見るための試作品として、この噴水が作られました。
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