主計町茶屋街の見どころ#4
浅野川沿いに続く主計町茶屋街は、有名作家の所縁(ゆかり)の街です。一人は明治後期から昭和初期にかけて一世を風靡した泉鏡花。もう一人が現代の日本文芸界を代表する作家の五木寛之さんです。
今も多くの女性から慕われている泉鏡花は、戦後の一時期、生まれ故郷の金沢の人たちからも忘れられた存在でした。そして、忘れられていた鏡花を再び世に送り出したのが五木寛之さんだと言っても過言ではないでしょう。
五木寛之さんは泉鏡花文学賞の選考委員を1973年(昭和48年)の第1回から務められている他、地元メディアでは、折に触れて鏡花についてコメントされています。
また、2008年に五木さんによって名付けられた「あかり坂」の記念碑には、暗い夜のなかに明かりをともすような美しい作品を書いた鏡花を偲んで、あかり坂と名づけた。との五木さんの言葉が刻まれています。
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艶っぽい環境で育まれた鏡花の作風
別れろ切れろは芸者の時に言う言葉…。これは舞台『婦系図(おんなけいず)』で、夫から別れを切り出された元芸者の妻・お蔦のセリフです。泉鏡花の名前は知らなくても、このセリフは聞いたことがあるという人がたくさんいます。
実は、鏡花の妻も元芸者でした。そして、師匠の尾崎紅葉から、芸者だった女とは手を切れと言われた経験を持っています。鏡花の妻の泉すずさんは神楽坂では源氏名・桃太郎を名乗っていました。
現在の主計町には桃太郎という源氏名の芸妓さんがいます。ご本人は金沢美術工芸大学の卒業という異色の経歴をお持ちですが、鏡花の妻の源氏名をご存じだったのかもしれませんね。
妖艶な雰囲気の暗がり坂
主計町茶屋街は、鏡花がお好きな方にはぜひとも訪れていただきたいスポットです。
鏡花の恋物語に登場するカップルは、必ずと言っていいほど悲劇的な結末を迎えます。多くの女性の涙を誘ってきた悲恋小説という作風の背景には、男女の色恋が繰り広げられる主計町の艶やかな環境がありました。
明治から昭和初期にかけての全盛期に、旦那衆が人知れずお茶屋へと向かった暗がり坂の下には、鏡花が生誕の下新町を舞台とした作品『照葉狂言』にちなんで、照葉さくらと名付けられた桜の木が植えられています。
1本だけポツンと立っている桜の木からは哀愁が漂ってきます。お花見の頃の主計町では人気の撮影スポットのひとつです。
主計町茶屋街の見どころ#2
暗がり坂は主計町から泉鏡花記念館への石段坂
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ここは鏡花の通学路
主計町に隣接する下新町で生まれた鏡花にとって、主計町茶屋街は小学校への通学路でした。
生家跡にある泉鏡花記念館から久保市乙剣宮の境内を抜け、暗がり坂を下って、お茶屋が並ぶ裏道から浅野川沿いの表通りに出て、中の橋を渡って金沢市立馬場小学校に通っていました。
浅野川沿いは「鏡花のみち」
中の橋は歩行者と自転車のみが渡れる橋で、かつては橋を渡るたびに一文の通行料(橋銭)を支払う「一文橋」でした。鏡花の23歳の作品『化鳥』は橋銭で生計を立てる母子の物語です。中の橋の袂には『化鳥』の文学碑が置かれています。
作品に記されている橋の周囲の情景を読むと、モデルとなった橋は「中の橋」ではなく、2つ上流の「梅の橋」かなとも思うのですが、そういうことを詮索するのは野暮ですかね(笑)。
ちなみに、主計町では浅野川沿いの表通りを「鏡花のみち」と名付けています。
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五木寛之さんは主計町がご贔屓
主計町は、五木寛之氏から長年ご贔屓にされてきた街で、主計町を舞台とした小説を書かれています。その中のひとつが、1971年(昭和46年)に発表された『浅の川暮色』です。
新聞社の記者と若い芸妓との恋物語です。東京の大手新聞社に新卒で入社した森口守が最初の赴任先として金沢支局に配属され、そこで芸妓見習いの柴野みつと出会います。
2人の仲は、主計町の鍋料理屋「次郎」の女将による陰ながらの手助けによって深い仲へと発展しますが、森口が東京本社に戻るのを契機として、結果的に森口がみつを捨てる形で終止符が打たれました。
浅の川暮色の文学碑はお店の前に
この小説に出てくる鍋料理の「次郎」は「太郎」という実在のお店がモデルになっており、小説の中で若い二人を支える女将も実在の女将をモデルとしています。現在、お店の前には小説『浅の川暮色』の文学碑が置かれています。
鍋料理の太郎については、五木氏のエッセー『五木寛之の金沢さんぽ』に、立原正秋さん、寺山修司さん、森瑤子さんといった作家の方々をご案内して、よろこばれたと記されています。
五木寛之氏が命名した名無し坂
五木氏が2008年に発表した『金沢あかり坂』も主計町を舞台とした小説です。
この作品は主計町の近くで生まれた主人公の凛が、恋人との別れを契機に芸妓の世界に入るというストーリーで、その中に主計町には2つの坂があるというくだりがあります。
ひとつは主計町の中心へと通じる「暗がり坂」、もう一つの坂は細い路地の奥にある名無し坂です。凛は子供の頃に父親から名無し坂を通ることを禁止されていたことから、30歳を過ぎるまで名無し坂を歩くことはありませんでした。
五木氏は地元の人たちから、この名無し坂に名前を付けてほしいと依頼されていました。そこで命名した名前が『あかり坂』で、小説の中で白髪の老詩人が名付けています。坂下には五木氏のメッセージ入りの石碑が置かれています。
主計町茶屋街の見どころ#3
あかり坂は五木寛之氏が命名した石段の坂
小説に出てくるお店を見つける
小説『金沢あかり坂』では、主人公の凛がお披露目されるお茶屋として一葉(ひとは)という実在のお茶屋が出てくる他、仲乃家、まゆ月、えんやなどの現役のお茶屋の名前も実名で出てきます。
また、凛の母親が主計町の木津屋旅館で働いていたという設定になっています。主計町を歩かれることがありましたら、小説に出てくるお店を探しながら歩かれるのもお奨めです。
金沢人に金沢を教えてくれる
五木寛之さんのエッセイ『五木寛之の金沢さんぽ』によると、金沢生まれの鏡花は、江戸の好みというか、趣味にどっぷりつかって、江戸の魅力をたくさん発表して人々に教えたそうです。
福岡県ご出身の五木さんも、金沢の人たちに、金沢のことをたくさん教えてくれています。私の母親は、テレビの画面を見ていなくても、声だけで五木さんが出演していることがわかります。金沢人にとって五木さんは身近な存在です。
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