第13章  春はからし菜

しかし、妙子が外へ出て働かなければならぬ日は、意外に早くやってきた。

その年の秋、国夫に、突然召集令がおりたのである。

日支事変は、国夫の予想をうらぎって、益々深刻に拡大されていった。大阪に一家が籍をうつして間もなくだった。国夫は、第一乙種、歩兵二等兵として、現地の師団に入営することになり、その翌日にも大陸に発ってゆくけはいがあった。

令状を手にしたとき、妙子は、国夫に秘して、金沢のせいのもとへ、直ぐ来るように電報を打った。

妙子の眼のなかに、金沢を発ってくる自分達を見送りにきたせいの、孤独な哀れな姿が何時までも焼きついていた。みぞれの降る夜、汽車のガラス窓に、ぺったりと頬をくっつけて、発車のベルが鳴っても、せいは動かなかった。頬も鼻も、ガラス窓に押しつけて、みにくく歪ませていたが、妙子には何故、彼女がそんな子供っぽいしぐさを何時までも続けているのかわからなかった。

見すぼらしくやせてしまったせいの、わざとらしくおどけた顔は、その時、妙子に何となく悲しくわずらわしい感じであったのだ。哭顔を漸く笑顔にもたせるために、彼女はせい一杯に努力していたものであろうが、そのくせ、彼女の国夫の方を見ず、むしろ妙子や彦一に対って、笑っていたのである。妙子のお古の毛糸のショールを頭からかぶって、すっかりもとの貧しい孤独の少女にかえったせいのそんな姿から、妙子は、狭山の家に、初めて祖父の遺言状をもってやってきたという彼女を想像していた。

妙子は、国夫の出征の電報を打って、ただせいを驚かせたかったのだ。突然せいが、古めかしいバスケットを提げて、入って来、家の内外に並んだ「祝出征」の幟や旗を見て、おおげさに驚くさまも、それ以上に、せいを見て驚く良人の顔もはっきりと想像することができた。僅か二日ばかりのあいだに、見も知らぬ肩書の国民服の男や、愛国婦人会や国防婦人会などのエプロン姿の女の出入りで、家の空気は、妙子さえが眼をみはって驚くほど、「出征軍人の家」に一変していたのである。これが戦争ということなのだ……これがそれなのだ……と妙子は肝に銘じた思いで、これまで新聞の記事面として感じていたことを、目の前のものすべてによって知らされていた。

しかしその一日も暮れた。ものものしい人々との応待に疲れきって、何やら言い難い虚脱感と、その反対の緊張感とに縛られ、一日中雑沓のようなところで、良人にはぐれていたような思いだけが、妙子の心に残っていた。

明朝早く、国夫は家を出てゆかねばならぬ。ついに、せいは間に合わなかったのだろうか。待ちびとを待つだけ待った妙子の内心は腹立たしいものでもあった。

臥床に入ってから、やっと国夫に、せいのところへ電報を打ったことを喋った。

国夫の顔は、意外にくもった。

「せいは来ないよ。」と一言。

「…………」

「縁が切れたんだ。」

きっぱりそう言って、妙子を抱きよせる国夫は、妙にかわいた眼で、何の感情の動きも見せなかった。妻を動揺させまいとして、彼自身が平静を装うている風でもあった。

「あの女のことだが……。」

彼は少しも妙子への愛撫の手をとめないで言った。

「僕は、あんたに嘘をついて出征したくないので、打明けるが……。」

この夏、国夫は、二日ばかり広島へ出張したことがあったが、実はそれは広島ではなく、金沢であったことを告白した。

「金沢へ出張と言うと、それだけであんたがこわがると思うて……つい嘘をついたため、せいのことも今日まで言いそびれてしまって……。」

金沢へ着き、せいのいる旅館へ、せいを尋ねていったのだった。せいは案外に元気で、また以前のように肥り、何となく顔もはればれとしていて、国夫をほっとさせた。せいは、妙子や、彦一のことをしきりに訊いて、懐しがった。その夜二人は、さかり場の香林坊を歩き、国夫の方がしきりに自分の宿屋へ誘ったが、せいは頑くなに遠慮して応じなかった。そして一旦別れ、翌日は、朝早く約束して、一緒に京太の墓まいりをし、そのまま別れてきた。――それだけのことであったと、国夫は妙子に神妙に告げるのであった。妙子はその言葉どおりを信じる。しかし、良人への不信と怒りは、二人のそうした淡々とした行動とかかわりなく、自分でもおかしなほど激しかった。

「せいの奴、すっかり仏教信者になっていてね、……たまの休み日は、何処へも遊びにゆかずに、一日机にむかって、お経の文句を写しているそうな。」

せいから電報がとどいたのは、そのようなさびしい、うとましい言葉を聞き入っているときであった。

ユカレヌゴブウンノチヨウキユウヲイノル  セイ

離れてしまったということが、男を打算にするものなのか、傍に居るものだけが、愛慾の対象だというのか、良人の愛撫は繰返し激しく、妙子の躰のふしぎな愛憎をかきたてて続けられた。

妙子は、自分の眼が良人に対って渇き、何の感情の動きも現わすまいとしているのを感じた。心の隅々まで渇きに渇きながら、躰はまるで別の悲しみのために、湖水のように満ちてくるのをどうしようもなかった。そして殆ど夜明けまで、飽くことのない国夫の欲情にむかいながら、戦争とはこのようなものであるのかと、またしてもぎょっとなっていた。この人とのあいだに、これが終ることなのだ。女のもう一つの呼吸の根、それが残酷にも停まってしまうことなのだ。明日からは、荒涼とした別の生きものに仕立てられて、巷にほうり出されてしまわねばならぬ。背く者も、背かれて嘆く者も、共に針金のように細く無情な存在となって、遠くに距ってしまうだけである。

 

妙子が勤めたのは、決して彼女が求めていたような、外界と活溌な交渉をもつところでもなく、彼女の職業意識をもりたてる職場でもなかった。

彼女は、国夫のあとを継いで、東屋に勤めることになったのである。非常時下に、東屋のような奢侈品を扱う店は、次第に影をひそめていて、大阪の繁華街での問屋と言えば、殆ど東屋きりになっていた。その東屋も出征した国夫の給料をそのまま遺族にあてがうほどの余裕はなくなっていて、代りに妙子が勤めねばならなくなったものである。

それに国夫は、そんな時勢になっていても、依然箔への夢は捨てきれず、将来の再出馬にそなえるためにも、妙子を東屋につなぎとめておきたがった。

東屋金屏風店は、南久太郎町の一角にあった。三階建、総檜造りの純日本風の城を見るように瀟洒な建物で、一階は、商品がそのまま展示され、屏風、色紙、軸物と、季節々々の一流画伯の絵画や美術品の小展覧会場となっている。彼女は女店員を兼ねた、其処の案内人であった。

考えようによっては、絵画の好きな彼女に恰好の職場であったかも知れなかった。彼女はそこで、久方ぶりに、金沢箔の金屏風を見ることもできたのである。狭山家の全盛時代のものと思われる絢爛たる屏風の何双かを、倉庫へ入って見ることもあるのであった。

東屋兵衛は、彼女の眼に、典型的な大阪商人としてうつっている。尼崎と宗右衛門町に妾宅を持つ彼の血色のよい赫ら顔は、店では昆虫をつぶしたように気むずかしくて、色事にふける男の素振りはみじんも感じられなかった。着ているものと言えば、木綿の質素な物に、チャンチャンコを羽織り、どんなに妙子が早く出勤してきても、店に出ているのである。算盤を弾いていると思えば、世界美術全集を展げている。かと思うと、丁稚がちょっと手を抜いた掛軸の始末にも、鋭い叱言を浴びせかける。

勤めて間もなく、まだ女店員の動作が板につかぬ、楚々とした物事の彼女に、色紙の整理をさせ、彼は機嫌がよかったが、美人画の色紙を一枚、彼女の手から受けとる時、その画と彼女の顔を見くらべてから、

「わては、美人というもの、苦手だす。」

実感らしく、ぽそりと言ってのけたが、彼女はその言葉にも、それから東屋の白眼のかった無愛想な眼付にも、それほど不快なものを受取らなかった。妙子からは男の対象とされていない自分の上に、一種の商人らしい採算をとろうとしている感じだったのである。

初めての給料日に、妙子は、りつがかねて喰べたがっていた大寅のかまぼこと、若向きの半襟を二すじ買ってきた。ピンクと藤色の二すじを、風邪で臥ているりつの枕もとへ見せて、

「このピンクの方を、せいに送ってやろうと思いまして。」と言った。

「おせいに?」

と、りつは臥たまま訊きかえした。どきりとした声だった。

「元気でいることかいね、あの子は……。」

そんな言い方で、りつは、せいにつながる過去一切を忘れたがっている風だった。めっきり老人らしくなった腰でくるりと寝返りを打つと、粗末な、色の変わった襖の方をじっと瞠めて、呼吸をとめたように黙っていたが、小唄でも吟むように独言ちた。

「春はからし菜、秋は塩なすび、冬はあさづけ、かぶらずし……。」

妙子が耳をすませた時、

「季節々々には、仙女のところへ届けてやりましたぞ。樽ごと漬けて、運んでやりました。……妙さん、女の一生とは、こんなものかしらん……何ごともがまん、がまんと、がまんすることしか考えませなんだ。そのくせ、漬物の樽をごしごし洗っていると、ふしぎに気持がおさまって、あれも頒けたい、これもやりたいと、つけ届けしてやるたのしみに気が忙きましたわに……。」

遠くで半鐘の鳴る夕べであった。金沢とはちがい、毎日何処かで火事があり、格別ひと出があるわけでもなく、いずれも何時か鎮火してゆくらしかった。

火事と、せいを結びつける妙子の意識はまだ消えていなかった。しかしせいを疑うたひと頃に較べると、それは何か半鐘の音にこもる感傷となっているかのようであった。

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