第14章  留守家族

国夫からは、明けて正月、北支の天津に着いたという便りがあったきりで、音信は絶えていた。

大阪の師団が徐州作戦に加わり、大損害を蒙ったという噂も飛び、妙子たちの悲観的憶測の中に、戦争は益々深入りしてゆくかに見えた。

金沢の実家、桐野からも、弟の範夫が海軍を志願して、横須賀へ入隊したことを知らせてきたし、もとの職人の応召の便りも次々にもたらされた。

今村が肺結核で歿リ、家族が絶えてしまったという報せも、りつや妙子を悲しませた。

そういうりつも、軍服の内職の無理がたたって、神経痛で臥込む日が続いた。朝、勤めに出るとき、妙子はきれい好きのりつのために、床の中で、手水を使わせ、その枕もとに、一日臥ていても差支えのないだけの食べものを用意して出てゆく。神経痛はとりわけ朝には痛みがひどく、時計を計りながら、妙子はほんの僅かなあいだだが揉むことにしていた。

極寒期に入ってからは、妙子が勤めに出る時分、りつはまだ床で眠っていることが多くなり、そのまま彼女が出かけようと戸を開けた途端、

「痛たた、痛たた……。」と、妙子の後髪を引くような泣声をあげた。妙子は慌ててとって返し、りつの背にまわって、腰と背を揉まねばならなかった。時間にして僅か廿分位のことだったが、妙子は何故か、こうした姑の泣声にうとましいものを感じた。老人が淋しがっているのだとわかっていても、ついいらだった。

衰えたりつの首筋があまりにも不用意に覗け、そのように醜いものを見下す自分の位置も、何となく冷酷で嫌厭を感じるようになっていた。

半年近く、そんな日が続き、死んでほしいと、本気で思っていることも度々あった。死んでほしいと呟きながら歩き、夜帰ってきて、りつの躰がむっくりと動いたり、

「お帰り、妙さん。」と、やさしく声をかけられると、やはりほっとした。そんな姑を見届けて、臆病なほどどぎまぎしている自分自身と何も知らぬ無心の姑とが、世にも哀れな者同士に見えることもあった。

何処か、家の近所に勤めを変えたいと、本気で考えるようになり、小学校へ通うようになった彦一のためにも、最新めっきり増えた付近の小さな軍需工場へ通ってみたらと、わざわざ寄り道して、女工募集とはり紙を出したある乾パン工場の門をくぐったのである。

すでに、七・七奢侈品禁制令はしかれ、東屋の閉鎖は時間の問題となっていた。ストック品を売りさばくのが、せい一杯の営業状態で、女店員の妙子にすら居づらい日々の切迫ぶりであった。

しかし、工場の門をくぐった時、彼女は、全く場ちがいの空気を感じて、戸惑わねばならなかった。というのは、工場はすでに終業時をすぎたものか人気はなく、棟を接して新築されたばかりの御殿造りの邸は、今点いたばかりの電燈で煌々として、呆れるばかりの人の出入りに揺れるようにさんざめいていたのだ。景気のいい仕出し料理が、玄関に山と積まれ、今にも新築祝いの祝宴がはられるところらしい。工場の受付から出てきて、ぼんやり多摩砂利を踏んで佇っていた妙子は、わけのわからぬ活気のなかに、まぎれもない異物の自分を感じて、守衛風の男に眼をつけられたのをしおに、門の外へ出てしまった。

――戦争成金、呆っ気なく門の外へ出てしまったことで、苛立たしくなり、こう呟いて彼女は、大理石の門にはめこまれた表札を見ていた。「丹野」と書いてあった。こましゃくれた背広を着た男の児が、門の内から、一気に走り出てきて彼女に突当りそうになり、はっとして避けたとき、彼女は、この児が彦一の同級生であることに気がついた。少年は凧でも抱えるように大きなスルメを抱えたまま駈けていった。

帰ってくると、電燈は消えてい、家は無人のようにひっそり閑としていた。彦一が、りつの布団の端にごろりと仰むけになっている。台所の米櫃の中は空で、蓋はとったまま、彼女が勤めに出かける時、彼に頼んでおいた筈の米は、まだ取ってなかった。

「米屋に米はないんや・」

と彦一はふてくされた言い方をして、起返ろうともしなかった。主食が配給制になる前夜、どうかすると、米屋の店頭には、一日でも二日でもこうした混乱状態が続いて、人々を慌てさせた。食料営団山阪×丁目配給所と看板を書換えたばかりの米屋の店員は、役人のように横柄となり、特別の得意先以外は出し渋るのである。

臥ていたりつが、ひだるそうに躰を起すと、彦一のあとを引取ったようにため息を吐いて空腹を告げ、妙子に茶を所望した。

「意気地のないことや。」

妙子は。自分の帰りをひたすら待ちわびていた二人の、ひょろりと凭れかかって来そうな哀れな存在に、吐くまじき捨台詞を残して、荒々しく米袋を提げて外へ出た。

十歳の男の児に、毎日々々自分が頼っている留守居の過重さは察しがつくのであったが、ふと彼女は、仰むけに臥ていた彦一のきれのながい眼に、良人そっくりの涙が流れているのを見たのであった。彼女は名状しがたい不安と腹立ちに、自分自身もおなじように、眼尻に涙を流しながら歩いていた。

すると、ながいあいだ消息がなく、今はほとんど手応えを失ってしまった戦地の良人のために、自分が涙を流しているような、不意を衝かれた気持になっていた。彼女はまだこれまで、孤独に閉された状態で、良人のために惜しみなく泣いたことは一度もなかった。良人を思うとき、彼女はただひたぶるに緊張した出征軍人の妻の気持で、背後に、りつと彦一をしっかりと背負っているのであった。彼女はこうしたいっときも自分を放れなかったいかついものを忘れて、痴呆のように泣きながら歩ける自分に、漸くやすらぎを覚えたのである。

配給所の店先には、ほんとうに一粒の米もなかったが、大阪弁で巧妙に交渉する妙子に、係員はとうとう負けて、自家用と称する米を一升渡してくれた、今、道を泣きながら歩いていた筈の妙子は、女丈夫ぶって、もう一升と、係員の手から更に一升取上げたとき、あの戦争成金の門に立って表札を睨んだ、勢った気持が、ここまで自分を逐いかけ、りつや彦一や、配球所の係員を相手に、さもしい撥ね返り方をしているのを知った。

それにしても、途上で彼女が流した涙は、あと味のよいものであった。米を抱えて、二度目に家に入ってきた時、いきなり棒立ちになって喚きたてる彦一を、あたたかく瞠ることもできたのである。彦一は、こう言って、喚きたてていた。

「お母さんの勝手。いつも家のこと放ったらかして出ていきよるお母さんなんか、要らへんわ。家のことするの、もう厭や、絶対なにもせえへん!」

そして、今は何の手応えもなく、少しの怒りも表わしていない母親の眼を見ると、今度は堪りかねたように、傍にあった空の皿を柱にむかって投げつけた。皿はカンと高い音をひびかせて、いかにも空虚な徒労の感じを、あたりにばらまいた。そしてこれも母親に何の効果も与えなかった。彼女は自分がほんの暫く外出して泣いてきたことをよかったと、思うのだった。でなかったら、おそらくこの息子の頬を打つような場面が出来上っていたかもしれなかった。彼女は、息子をまじまじと見ていた。彼女には、不断置きざりにされて甘えたことのない彼が、今せい一杯に甘えて、演技しているようにすら見えたのである。

「うちだけや、ほんまに、丹野くんのとこなんか。」

と彦一は、今しがた母親が表札ではっきりと覚えてきたばかりの同級生の名を言った。

「丹野くんのとこなんか、お父さんはいつも家にいるし、喰いたいものはなんぼでもある。」

「そうか、彦一。わるいことをしました、お母さんは。いつもいつも用事ばかりさせて……でもね、うちはお父さんが戦争に行って居られますのや、丹野さんのことなど言わんときなさい。」

「お母さんが何もかもわるいんや。わるいと言え!  お母さんがお父さんを戦争にやるからこんな目に遭うんや!」

お母さんがお父さんを戦争にやった……彦一はたしかにそう言った。そしておいおい声をあげて泣き出した。とるに足らぬ無鉄砲な子供の暴言と、わかっていながら、妙子はそのとき、どきりとしたのである。戦場の良人に対する妻の無力さ、いまとなって、あまりに易々と良人を戦場にわたしてしまったという軽卒の罪にも似た錯覚、実はいつごろからともなく、彼女の心に巣喰っていた臍を噛むような奇妙な怒りを、息子にそのまま指摘されたのである。

「お母さんの阿保!  お母さんがわるいんや……。」

母のたじろいだ表情を衝くようにして、彦一は泣き喚いていた。先刻、米の配給所へゆく途中、ひそかに痴呆のように泣いた妙子は、今また息子と対き合って、するすると泣き出していた。理性も、忍耐も、いかついものはすべて投げ出して、この自分を責め咎めてくれる小さな息子と、ただわけもなく泣きたかった。そしてこの異様な母子を見て、「しっかりしなされ。」と叫ばずに居られなかったりつも、この仲間になって泣き出したのである。やがて三人は、いかめしく意義づけられた国夫の出征ということが、こんなに馬鹿騒ぎの涙のなかで、やっとあきらめがつくものだと知ったのである。

それから間もなく、国夫の戦病を報せる便りが、北支の太原陸軍病院からあった。病気で、第一線を後退して、療養しているという検閲の印に幾つも縛られた代筆の手紙であった。

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