雪が空からおりてくる日は、その雪の襲い方とおなじ速度と密度で、地の底からも響いているものがある。

地の底で敲いている鉦の音かもしれない。

異様な、雪のしずかさを、聞きとがめる妙子は、朝から点けっぱなしにしている電燈のせいもあって、まるで時間の観念をなくしていた。今しがた、息子の彦一と、その婚約者が帰っていったあとの、ひとり取残された思いまでが、いっそ遠い過去のなかのことでもあるかのように、うつらうつらとしている。どうかして、廊下の奥のはずれで、客を案内してくる若い女中の声が、びっくりするほど美しかった。

金沢で、指折りの旅館「くすもと」の、女主人にいまはすっかりなりきっている妙子に、そんな女の声が、ふとその過去のなかから、谺してくるもののようにひびいてくるのは、こうしたときなのである。

毎年、年の暮にすます法要が迫っていた。

とかく妙子に。仏壇の前に座りがちの日がつづき、いまもその膝におかれた小さな過去帳には、姑りつ、良人(おっと)狭山国夫、長男京太、そして、もと、この旅館主であった楠本せいの名が記されてある。それから、極く最近加えられた、日下群太郎という名――これらのひとびとは、彼女にとって、懇ろに法要を営むべきひとびとの名であった。そしてそのあと、むしろあかの他人と呼んで忘れ果ててしまいたいひとびとでもあるのだった。

彼等は、偶然にも、雪の日に、ひとりずつ死んでいったのだ。そしていま、妙子がとらわれている思いというのも、その雪にまつわる憶い出であり、彼等を襲うた雪の誘惑に、ひょっと自分も誘われてみたい奇妙な気持であった。彼女にとって、雪のあの精緻な結晶体は、不吉な、忌まわしいものの象徴であると同時に、この上なく美しく妖しげな、なにかの霊魂のようにも思われる。

彼女は、先刻はじめて見た息子の婚約者に、早速、法事に来るようにと言って、母らしい好意をしめしたのだが、自分のそうした過去と、全く切離されたところに、新しい絵の具を絞ったような新鮮な、その女の世界に、無性に懐かしいものを覚えたのだ。

「ほゝゝゝ、これがこの家の最後の法事でしょうよ。法事はもうこれで沢山。もうそして、私たちは、生きているひとのことだけ考えて暮しましょう。ほゝゝゝゝ、生きているひとだけの愉しい世界よ!」

急に別人のように、明るく笑いだし、はなやいで言うこの母の言葉を、若い人たちはどのようにとったであろうか。

 

水芦光子さん原作『雪の喪章』 全文掲載